イェライシャのお節介

政治経済とニュースネタ

ローマ教皇の罪

キリスト教徒におかれては気分を害する恐れがあるので、以下読むことを差し控えていただくとともに、あくまで個人的な感想であることを予め付け加えます。

私は特段何かの宗教を信じるものではなく、多分、日本人の多くがそうであるように八百万の神神道)を中心に、自分の都合の良い部分は受け入れる口で、人生の節目においては神道と仏教でした。若い頃、一時期キリスト教ユダヤ教の違いに興味を持って調べたことがありますが、司馬遼太郎著「竜馬がゆく」を読んだ時に、竜馬が「ブッタもキリストも大ペテン師野郎」と感じたくだりを読んで、宗教とは人を操る詐欺師野郎の都合の良い御託だと思い、以後、その気持ちは揺るがないものになっています。

七つの大罪

七つの大罪(ななつのたいざい、ラテン語: septem peccata mortalia、英: seven deadly sins)は、キリスト教西方教会、おもにカトリック教会における用語。ラテン語や英語での意味は「七つの死に至る罪」だが、「罪」そのものというよりは、人間を罪に導く可能性があると見做されてきた欲望や感情のことを指すもので、日本のカトリック教会では七つの罪源(ななつのざいげん)と訳している[1]。

ja.wikipedia.org

キリスト教には七つの大罪があります。

傲慢、物欲、嫉妬、怒り、色欲、貪欲、怠惰。

傲慢、怠惰の罪

今回来日し難民についてローマ法王が語ったことは、日本に対しての内政干渉にあたる大きなお世話で傲慢と受け取れますし、難民問題の根底には怠惰も付け加えたいところです。

mainichi.jp

色欲の罪

随分前から報道されていますが、高位の司祭による性的虐待についてバチカンは認めていますし、最高責任者はローマ法王です。色欲に狂った司祭なんて小説の設定でも気色が悪く躊躇われるところです。こんな人たちが説法したところで、偽善者としか言いようがありません。

ja.wikipedia.org

殺人の罪

「汝、殺すなかれ」とあります。七つの大罪で戒めるのは殺人の動機を抑えるためと理解しています。でも、キリスト教に限らず他の宗教でも殺人は禁忌としているものが多いのに現代まで止むことはありません。統計を取るまでもなく、宗派で最も他宗教もしくは無神論者を殺してきたのはキリスト教徒ではないでしょうか。同盟国の悪口は言いたくありませんが、米国の大統領の大半はキリスト教信者ですよね。ブッシュといいオバマといい大勢の殺人許可を出しています。トランプ大統領すら、自国民が危機となれば躊躇わないでしょう。

キリスト教は殺人を禁忌としていないという結論で間違っていませんよね。

歴史を振り返った時に、現在もそうですが、最も醜悪なのは自分が正しい教えに従って戦争をすることだと思います。我欲や自己、自国を守るための戦争なら少しは理解できますが、異教徒を殺してよいというメンタリティーは日本人にはありません。

ローマ法王キリスト教のトップです。紛争の大半が宗教(民族)問題や経済問題であるならば、少なくとも宗教観の違いによる争いの大元を断つ努力をして欲しいと願います。口先では無理でしょう。アラブ圏(UAE)に初めて訪れたローマ法王とあります。たった48時間の滞在で、今回の訪日に比べればフェイトかよと思われる程度です。キリスト教トップとイスラム教指導者が仲良く写真に納まったら、DSが裏で諜報活動しても現場はアホくさくて銃を持つ気になれないような気がします。

強欲の罪

DSについて記したので追記しますと、中世から近代までの戦争理由は民族や宗教の対立で説明できますが、WW1あたりから経済が戦争原因で、宗教対立は経済を牛耳るDSによる目くらましや都合によるものと考えるようになりました。本当はもっと前の大航海時代からなんでしょうが、植民地化にあたって宗教を利用してきた歴史があります。

バチカンの強欲とは、マネロンの疑いというか心証は真っ黒です。ダークマネーを寄付えば速攻で綺麗なお金に変身します。DSとバチカンはグルと思っています。

DSで検索しても任天堂DSばかりで、ディープ・スティートで検索可能です。今、桜の会で間抜けたことを言っている原口議員が国会でチラッと触れています。

キリスト教徒ではないけど

若い頃、ビジネスで独国バーデンバーデンに訪れたことがあります。ちょうどクリスマスの頃で寒い中でしたが、古い街並みがクリスマス色に飾られて素敵な気分を味わった尾があります。バチカンにしてもダン・ブラウンによる「ダビンチ・コード」でその荘厳な美しさに憧れています。

もうじきクリスマス。知っている教会に飾られる装飾が楽しみですし、私はこういうのは大好きで仏教のような貧乏くさくないキリスト教が羨ましく思えます。